親会社
商 号 | 株式会社 誠建設工業 |
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代表者 | 代表取締役社長 小島 一誠 |
創 業 | 1977年9月 |
設 立 | 1991年4月23日 |
資本金 | 5億7,880万円 |
証券コード | 8995 |
上場取引所 | 東京証券取引所(スタンダード市場) |
従業員数 | 10人(2021年3月現在)連結27人 |
商 号 | 株式会社 誠建設工業 |
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代表者 | 代表取締役社長 小島 一誠 |
創 業 | 1977年9月 |
設 立 | 1991年4月23日 |
資本金 | 5億7,880万円 |
証券コード | 8995 |
上場取引所 | 東京証券取引所(スタンダード市場) |
従業員数 | 10人(2021年3月現在)連結27人 |
100%子会社
商 号 | 株式会社 誠コーポレーション |
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代表者 | 代表取締役社長 杉中 隆 |
創 業 | 1977年9月(親会社:誠建設工業) |
設 立 | 1998年9月22日 |
資本金 | 1250万円 |
証券コード | なし(親会社 誠建設工業:8995) |
上場取引所 |
なし(親会社 誠建設工業 東京証券取引所スタンダード市場) |
従業員数 | 2人(2021年3月現在)親会社連結27人 |
会社沿革
1977年 9月 | <棚板一枚から新築まで>をキャッチフレーズにリフォーム事業を中心とした営繕組合「誠」を個人創業する。 |
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1991年 4月 | 資本金1,000万円で株式会社誠建設工業を設立する。 |
2000年 5月 | 本店所在地を堺市深井清水町より堺市福田46番地に移転する。 |
2000年11月 | 一級建築士事務所の登録をする。 |
2001年 5月 | 堺市百舌鳥陵南町に展示場を3棟開設する。 |
2004年 3月 | 株式会社誠ホームサービスを販売子会社として設立する。 |
2005年 2月 |
株式会社誠住宅センターを販売子会社として設立する。 2012年6月より株式会社誠design工房に社名変更し、建築業に業態変更する。 |
2005年 5月 |
株式会社誠エステートを販売会社として子会社化する。 2013年10月より、不動産賃貸業に業態変更する。 |
2005年 6月 | 株式会社誠コーポレーションを販売会社として子会社化する。 |
2005年 9月 | 住宅展示場(住まい館 石津店)を大阪府堺市浜寺石津町東に移転する。 |
2006年 2月 | 大阪証券取引所市場第二部に新規上場する。 |
2006年 3月 | 資本金を5億7,880万円とする。 |
2006年 5月 | 堺市堺区向陵東町に住宅展示場(住まい館 三国ヶ丘店)を開設する。 |
2006年10月 | 堺市東区草尾に住宅展示場(住まい館 北野田店)を開設する。 |
2013年 7月 | 大阪証券取引所と東京証券取引所の統合に伴い、東京証券取引所市場第二部に株式上場する。 |
2022年 4月 | 東京証券取引所の市場再編により『スタンダード市場』に上場する。 |
誠コーポレーション(当社)のプロフィール
・会社設立24年で免許番号(5)の実績があります。
・誠建設工業(売主)100%子会社の信用が有ります。
・直営ディーラーなので高い信頼と安心があります。
・事業を公正かつ忠実に遂行します(東京証券取引所の要件)
・継続的に事業を営み、安定的な収益基盤です。(東京証券取引所の要件)
・お客様、社員、取引先、株主様の幸せを大事にしています
・気持ちの良い取引を心掛けています。
企業情報
IR情報
杉中 隆 (すぎなか たかし)
株式会社誠コーポレーション代表取締役
略歴
生年月日 大阪市生まれ
学歴 大阪府立池島高校を卒業
社歴 藤田珈琲紹介
喫茶アンバー(自営)
株式会社福屋工務店(福屋不動産販売)
株式会社誠コーポレーション(現在)
資格
宅建士
不動産コンサルティング(旧)
AFP、FP2級
マンション管理主任者
損害保険普通資格(旧)
増改築相談員(旧)
マンションリフォームマネージャー(旧)
誠コーポレーション心得
- ご相談やご質問には正直にお答えします
- 正確な物件情報をお知らせします
- 詳しく分りやすい丁寧に説明します
- ご質問にはスピード対応します
- より良い提案やアドバイスをします
- お客様の話を良く聞きます
ごあいさつ
私は高校を卒業後、運送会社で3ヶ月働きましたが、力仕事に向かず辞めて就職活動をしました。希望の会社は何処も不採用で学才時代からアルバイトをしていた喫茶店でアルバイトをしながら仕事を探す事にしました。なかなか就職先が決まらなかったのでマスターが藤田珈琲を紹介してくれました。藤田社長には「男は仕事が一番」「仕事はロマンであり人生」「商売人は命の次にお金が大事」「人を助ける」などを教わり私の人生の基本の考えになりました。「人を助ける」はいまだに実践出来ていません、おそらく一生できないしょう。
その後、22歳で「珈琲」と「作業服」を販売する会社を自営しました。始めて「代表者」を付けた名刺を作った時の喜びは今も鮮明です。しかし、現実はきびしく、何の準備も計画もない事業は半年で終わりました。その時、喫茶店を友人が経営する話があり、私も仲間にいれてもらいました。中央市場の近くにあり、早朝6:30から夜20:00まで働きました。年収も目標の500万円を稼ぎましたが、それ以上は無理と判断して閉店しました。
当時はバブル時代で証券会社や不動産会社の常連客が1000-2000万円の給料を稼いでいる話を聞いて、それなら自分も不動産業界で稼ごうと思い、小さな不動産会社に就職しましたが、半年で金融機関の総量規制で資金ショートして事業縮小で辞めました。その当時の社員とはその後も取引をさせて頂いております。
給料が高いと噂の福屋工務店(現在の福屋不動産販売)に就職しました。祖父も父も不動産業を自営しており私で三代目です、何が何でもここでは仕事を覚えようを思いました。当時の店長(柴田社長)との出会いが、私の人生の転機になりました。不動産売買の心得を一から分かりやすく教えて頂きました。私は不動産屋なのに方向音痴で人見知りをしますし、愛想も悪いですが何とか今も働く事が出来ています。
11年間働いた福屋工務店を辞めて、取引先の誠建設工業の小島社長(現在はフェニックスの社長)の不動産販売会社に入社しました。誠グループの社風は不動産会社より工場に近い感じで当初はかなり戸惑いました。リーマンショックには数多くの新興不動産会社が潰れましたが、生き残れたのは、その社風にあったと思います。
「良い物をより安く」「買い手よし、売り手よし、世間よし」「しまつして、きばる」は不変の教えです。商売は命がけの戦いです、甘い事ばかり言っていると潰されますが、傲慢は世間に潰されます。「身の丈を知り」「足るを知る」を心がけて社業に邁進いたします。
喫茶店のマスター、藤田社長、柴田社長、小島社長、従業員、妻、その他多くの方に助けて頂きました。私は、生まれつき非常に人運があります。その恩返しに、先ほどの教えを後進に伝えます。